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現実 対 虚構

庵野秀明監督の映画「シン・ゴジラ」がAmazonPrimeVideoに登場したという公告をTwitterで見かけた僕は、すぐにパソコンを開いた。

 この映画を見るのは何回目だっただろうか、と考えてそろそろ両手では足りなくなるのではないだろうかと思った。映画の内容とか考察とか、あるいは非難とかは世界中で一般人から著名人までいろんな人がさんざん書いているから、わざわざここに詳しく書く必要はないだろう。「シン・ゴジラ」は日本社会に対する皮肉であり、批判であり、エンタテイメントであり、SFであり、同時にノンフィクションだと言って良いかもしれない。

ところでこの映画のキャッチコピーは「現実 対 虚構」である。そして現実(ニッポン)、虚構(ゴジラ)というルビが振られている。

まだ見ていない方も多くおられるだろうから、詳しくネタバレを書くことは避けるけれど、この映画には大きな場面転換がある。ゴジラが東京を破壊する夜のシーンだ。このシーンはとても絶望的で、音楽も相まって同時にとても美しい。ゴジラが放つ紫色の光線はビルを切り裂き、戦闘機を打ち落とし、ヘリを切断して、東京の街を炎に包む。「風の谷のナウシカ」で巨人が歩いているシーンを連想させるし、やはり同監督の「巨神兵東京に現る」とも似ている。

さて、ゴジラはこのシーンで、現実と虚構を切断したのだなぁ、と僕は毎回思う。ここ以前では、SF的な要素は思いのほか少ない。政治的やり取りなど、とても現実的だ。けれど次のシーンから、映画は一気にフィクションへと傾く。フィクションへ傾くというのは、突っ込みどころが増えるということだ。映画では、最終的にゴジラを倒すことができた(ように思われる)。しかし、それは虚構の世界の出来事にすぎない。現実のゴジラは依然として暴れているし、僕たちにはそれを止める手段がない、ということを暗示しているのかもしれない。

「10年後の日本を考えて行動している。でもそれには日本に10年後があることが、まず必要だ」